理事長所信
はじめに
青年会議所に入会をするまでは、地域の発展や青少年の育成など考えることもなく目の前の仕事に取組み、自分のために時間を使う日々を過ごしていた。誘われていた頃は「いずれ入会します」「30 歳になったら入会します」などと伝え、なぜ断っても様々な方から誘いを受けるのか理解ができなかった。 1 度参加をと言われ講演会に参加をしてみたがそれは公開例会だった。 食事の誘いで行った先が LOM の懇親会だった。 全ては入会をしてから気づくこととなったが、これまで多くの現役会員や卒業をされた先輩方とつながることで、青年会議所の“友情”に触れていた。
入会をしてから1年が過ぎ、自身が幼いころ楽しみにしていた地域のイベントなどは青年会議所が行っていたことを知り、自分たちが行動を起こさないと今を生きる子どもたちは、人が集う場がなく、楽しみがなくなるのではないかと気づいた。そこで、青年会議所が行う“奉仕”を実感していることに気づいた。
そこから私自身の中で青年会議所に対する考え方が変わり、これまで会員の拡大に重きを置き活動に取り組んでいる。
津青年会議所は本年 72 年目を迎えており、これまで多くの先輩諸兄姉が同じ志をもち、まちのため、子どもたちのため、自分自身のために日々活動を続けている。なぜ津青年会議所が半世紀以上の年月を越え、多くの会員が活動を行うのだろうか。それは地域から必要とされているからだと私は信じている。私たちは、目先の利益を求めるのではなく、誰かを想い、誰かのために活動を続けている。それは津青年会議所が創立された 1953 年の時も今も変わらないものであり、現在は市内においても様々な団体が立ち上がり、それぞれの目的を持ち活動を行っているが、青年会議所の掲げる三信条と 4 つの機会は唯一無二のものだと感じる。この組織の信条を基に、4 つの機会を駆使し、私たちは地域のヒーローであり続けなければいけない。そのためには同じ志を持つ会員を増やし、まちのために、未来の子どもたちのために誠心誠意努める必要がある。そして、 20 歳から 40 歳までの貴重な人生の中で、大切な時間を自身に費やすことが“修練”であり、自身の成長に変わることも約
束されている。
また私たちは周りの支えがあってこそ輝くことができることを忘れてはいけない。
大切な家族、会社の仲間に感謝の気持ちを持ち、言葉で伝えることを怠らず津青年会議所の活動に励まなければいけない。地域の未来を語る前に明日の我が社を描けているのか。一番身近にいる子どもにこのまちに生まれて本当に良かったと言ってもらえているのか。このまちの未来を語る前に己自信を律しよう。
近年は、感染症によるパンデミックや、デジタル化の推進、働き方改革など生きていく上で私たちを取り巻く環境は大きく変化をし、グランドデザインが問われる正念場にいる。環境の変化に対応できない生き物は滅びるように、変化ができない組織は消滅してしまう。
これからも変化を続ける環境に柔軟に対応し、化石化しない組織を創らなければならない。
会員の拡大と増強
私は青年会議所の基本運動でもある会員の拡大には最も想いがある。年会費を自ら払い、組織に籍を置くのであれば自身が属する組織の魅力を伝え、声をかけることが当たり前ではないだろうか。そのサイクルが機能すると、同世代の人脈が広範囲に拡がり、その人脈は人生の財産にもなり、自身の家族や会社の仲間にも益をもたらすこともある。また、会員が増えれば、 私たちが住み暮らす津市を良くしたいと考える人が増えることになる。1人よりは2人。 2人よりは 100 人と増えればその求心力は膨大な渦となる。その渦が津市全域に拡がることで、県内一の面積 711,11 ㎢を誇る津市において大きな原動力となる。また、その上で会員が地域の一部に集中をしても青年会議所の存在意義が薄れてしまう。私たちの地域は、2000 年に 2 市 8 町村で 1 つのまちとなったが、全ての地域から各々のまちを想う青年が必要であり、そうなることで自身が住まうまちが発展をし、そこで産まれる未来の子どもたちの明るい豊かな社会が実現されるものとなる。現在は三重ブロック協議会内の会員が減少傾向にある。津青年会議所はここ近年一定の会員数を保つことができているが、先を見据えると不安があるため様々な広報戦略を活用し、私たちの活動に共感する同志を発掘していかなければいけない。さらには青年会議所を通じて得る、人と人とのつながりや活動の中で感じる実体験が今の自身の成長につながり活かされていることを再認識することも必要である。併せて・賛助会員制度の活用も検討するべきだと感じている。企業側にとっても私たちの活動は魅力があり、その制度を活用することで 1 人でも多くの会員を増強し、一人一人が地域のヒーローであり続けよう。
魅力を再認識し郷土愛を育むまちづくり
津市は古くは安濃津として平安京にとって重要な港であり、江戸時代には藤堂家が治める津藩の城下町とし、また伊勢参りの宿場町としても栄え、とても活気のある地域であった。1900 年代初頭には紡績産業が盛んとなり、丸之内界隈も呉服店が多数存在し、1936 年には百貨店が開業し、賑やかなまちとなった。しかし時代とともにその面影は消え、県庁所在地ではあるものの、どこかまちの活気は数十年前と比べても下火になっていると感じている。一方で、ビジネスや住環境に視点をおくと私たちが住み暮らすこのまちは他府県へのアクセスが良く、利便性が良いまちだと感じている。様々な特性を活かし、私たち青年が地域を活性化させるきっかけを創る必要があると考える。
また、 幼いころを思い出してほしい。いつも楽しみにしていた“お祭り”や“イベント”は誰かが準備をし、その場を用意してくれていた。今、 20 代から 30 代である私たちがするべきことは何だろうか。何もせず、そのような催しに参加をするだけで良いのだろうか。地域の方々や自分の家族が楽しみにしているようなことを自ら汗を流し、作り上げるほうがカッコイイ人生だったと胸を張ることが出来るのではないか。そのためには、自身のまちに誇りをもち、郷土愛を育くむために、国内全域に視野を広げ、俯瞰的に愛するまちを視ることも必要であるのではないだろうか。津市が今以上に活性化するきっかけを掴むために、市民にインパクトを与え、津青年会議所の存在意義を改めて感じていただくことが必要である。
希望に満ち溢れた青少年の育成
昨今の子どもたちを取り巻く環境はデジタル化の推進などにより私たちが過ごした環境と大きく変化をしている。決して今の時代が悪いわけでもなく、時代は常に変化をするものであり、その時代に合わせていくことが必要とされる。その傾向は、自然環境にも通ずるものがある。異常気象による、猛暑、台風、豪雪、大雨など様々な環境悪化に加え、私たちに切り離せないのが、地震である。東南海地震が私たちの住まう地域には影を潜めている。しかし、大災害を経験していない私たちや、子どもたちはその恐ろしさを知り得ないだろう。災害の経験は出来なくても、災害が起こったときに対応できる知識を得る子どもたちが、この地域には一人でも多く必要である。
また、グローバル社会になりつつある我が国日本においても、まだまだ世界規模で考えると、海外に対する意識の低さが見受けられる。それはこの地域でも同じことである。インターネットの普及により海外が近くなったように感じる一方で、日本人には外国に対する壁が存在するように感じている。これからの津市を、日本を創り上げる若者が海外に目をむけるきっかけを私たちが先導しようではないか。
愛するまちの未来を創ろう
地域の未来を考え、創り上げていくのは誰だろうか。行政だけでも無ければ、これまでこの地域を牽引されてこられた諸先輩方だけでもない。住みやすく、このまちに誇りをもてるように考えていくのは、私たち青年である。私たちが住み暮らすこのまちには様々な課題があり、津青年会議所はいつの時代もまちの課題を解決していくリーダーの集まりである。
2025 年で戦後 80 年を迎える。私たちが住み暮らす津市も焼け野原となり、塔世橋から岩田橋までの建物が全て失われ、丸之内から長谷山まで逃げた祖母から伊勢湾が一望できるほど悲惨な光景だったと聞いたことがある。世界では未だに戦争が繰り広げられ、日本においても決して安心できる環境ではない。80 年という節目の年であり風化しつつある悲劇を繰り返さないために戦争について考えていきたい。
このまちの人々の特徴はコンサバティブな思考がある。コンサバ思考が決して悪いわけではない。しかし、波風立たない環境に成長はなく、長い目で俯瞰的に見るとそこには何も生まれない。一方で、プログレッシブな思考を持ち合わせた人が集まれば、そこには新たな風が吹き、希望をもてる環境が整うこととなる。様々な分野で環境変化が起こる中、チャレンジをしていく、プログレッシブな意識変革の機会を創出するのが私たち青年の使命ではないだろうか。
地域の未来を見据える私たちが目を向ける先にスポーツがある。オリンピックやその他様々な世界大会、国内での競技に関してスポーツには一体感を生み、人々を魅了する力がある。私たちが住み暮らすまちは、近年民間企業により各種競技が盛んになりつつある一方で、全国的にみるとその勢いは劣る。しかし津市は 2029 年までスポーツ施設の整備計画を行っており、今を生きる青少年がスポーツに関心をもてることが、このまちの希望となる。当会議所としても市民とともにスポーツを通じて地域の未来を創るきっかけを切り開いていくことが重要である。
かけがえのない出会いを見つけ、自身の成長につながる出向
青年会議所在籍中において魅力な1つに出向がある。出向にはブロック協議会、地区協議会、本会、JCI の 4 つの行先が存在する。そこにはかけがえのない出会いと経験が約束されている。私はこれまでの在籍期間で出向を何度も経験をし、その経験が自身の人生の糧となっている。各地域によって課題が異なり、その課題を解決するために日々奮闘している仲間を知ることで、津青年会議所メンバーには是非、新たな自分や俯瞰的に見るまちの現状に気づくこの機会を掴んでほしい。一歩踏み出す勇気を持ち、卒業後も続く深い縁のために行動を起こしてほしい。また日本青年会議所を支援する業種別部会連絡会議が存在する。当団体は、41 の業種で構成され総勢 13,000 名を超える会員が全国に在籍している。各部会を通じて、JC のビジネスの機会で得られる新情報、人脈、マネジメント能力の向上を掴むことも自身の JC ライフを充実させる契機となる。
強固とする組織運営
津青年会議所は創立 70 周年を迎えた際に“まちづくり”“青少年育成”“人づくり”のビジョンを策定した。ビジョンに沿って運動を繰り広げ様々な解決策を模索し会議を行い実行する。その基軸となり活発な議論ができる環境を整え、予算編成からコンプライアンスの確認、会計の透明化と財務体質の健全化を図ることが必要である。そして様々な活動への参画を全会員に促し、SNS を通じて活動の発信を行い、三重ブロック協議会の Leading Lomとしてプライドを持って行動をし、姉妹 JC との絆をつなげこれまで先輩諸兄姉が紡いでこられた津青年会議所の歴史を刻んでいかなければいけない。そのために青年会議所の本質は変えることなく本質にそぐわない部分を変え、時代に即した津青年会議所の下支えをしっかり行おう。
おわりに
JC はゴミを拾う組織ではない。ゴミを捨てさせない社会をつくる組織である。JC は政府や行政の手足になって活動する組織ではない。政府・行政・民間を結集させ牽引していく組織である。明るい豊かな社会の実現のために、地域の人々をインスパイアし、社会にインパクトを与えることが私たちの使命である。
私たちは JC の価値を社会に示すためにタイトなスケジュールの中、時に不条理な処遇を受けながら議案と向き合い運動をつくっている。ゴールに向かって共に駆け抜けてくれる仲間がいて、仲間の必死な姿に心を打たれ、大きな壁を乗り越えていく。
私が青年会議所に身を置いている期間でこれまで記憶に残り、思い出のある年がいくつかある。それは、全て苦労をした年度であった。青年会議所で与えられる役職は“頼まれごとは試されごと”と言われるように決して越えることができない壁ではない。越えたその先は自身の成長が約束されており、その経験が今の私生活に活きていることを日々実感している。挑戦する前から無理だと決めつけるようなことはやめよう。
青年として大きな夢を語り最高の仲間とともに愛する津のまちの未来を創ろう。未来のないまちに希望はない。消えない希望と終わらない夢を乗せて一歩一歩進もう。
「このまちには何もない」「誰かがしてくれる」なんて悲観するのは私たちがすることではない。私たち青年は、当事者として能動的に行動をする実践者になるべきである。このまちの未来は無限の可能性を秘めている。なぜなら未来は私たちの行動から創ることができるからである。
目の前に道がなければつくれば良い。大きな壁が立ちはだかるのであれば壊せば良い。私たち青年は常に前に進むのみである。
私たちの時間は有限である。大切な家族、会社の仲間に胸を張って自慢できる時間を過ごそう。このまちに JC は必要とされている。
ここは人生最後の【学び舎】である。
スローガン
みんなの夢中が、明日を変える。
基本理念
希望と夢を活力に、自らの可能性を開花させ、
地域の未来を見据える先導者として、
共に新たな価値を創造しよう。
基本方針
・組織の持続可能性と成長を求める会員の増強
・歴史を受け継ぎ、活力を育むまちづくりの推進
・変化を捉え、未来を生き抜く力をもつ青少年の育成
・挑戦する心と革新的なアイデアを生み出す取組の推進
・時代に即した強固且つ柔軟な組織運営の実現
・視野を広げて自らの成長と縁をつなげる出向の促進
・互いの成長と絆の強化を目指す姉妹 JC との交流
・公益社団法人日本青年会議所協働運動、連携推進運動の実施